紀伊國屋書店新宿本店の歴史と文化について


昨日(5月10日)は、第33回 高円寺純情出版界での永江朗氏の講演に参加して、著書の「新宿で85年、本を売るということ」(メディアファクトリー新書 2013年2月発行 222頁)を購入しました。著者の講演を聞く機会がなければ読むこともなかったかもしれません。イベントも本との出合いに役立ちます。

早速一読してみましたので簡単に内容を紹介します。本書の3分の1以上は、紀伊國屋書店の創業者である田辺茂一氏のことですが、本書を読むと紀伊國屋書店新宿本店はまさに創業者の個性によって形作られたものであることがわかります。

田辺家は江戸時代に紀州から出てきた家柄で、茂一氏の祖父は新宿で材木商を営んでいたということです。新宿駅は日本どころか世界でももっとも乗降客数が多いのですが、新宿駅から100mの位置に自前の土地をもち、そこに本店があるという立地条件は草創期の紀伊國屋にとっての天の恵みともいえます。著者の永江さんが講演会で何度も口にされていましたが、書店経営は「取次から仕入れて売って、家賃を払っているのでは成り立たない。」のだそうですから。

ライバル店と比べると、草創期は圧倒的に有利だったわけですが、紀伊國屋が、新宿本店だけでなく、日本全国、海外にも店舗を有する大書店になったのはそれだけではありません。これは、第2代の社長となった松原治氏の力によるところが多いようです。「夜の市長」とまで言われた茂一氏でしたが、松原氏によると茂一氏は「天衣無縫で私利私欲がない」ので働きやすかったのでしょう。

著者によると、洋書の扱いと大学への外販のふたつが紀伊國屋の成長の牽引力だそうです。洋書は仕入れにボリュームディスカウントがあり、販売では値付けも自由なので、初期の頃は利益率が60%にも上ったそうです。一方で、返品もできませんので、仕入れた分だけ、短期間で売ることが必要となります。つまり需要を見極める力と営業力が死命を制します。大学卒の優秀な人材を外商部門に配置し、彼らが大学を回って直接研究者に新刊の洋書を売ることで成功したのです。大学への接近により、高度成長期の大学の新設にともなう図書館需要の取り込みもできたわけです。

1990年代にはブックオフや複合店であるヴィレッジヴァンガードの躍進、2000年代にはドットコム書店、アマゾンの進出もあり、それ以前と比べると経営環境が激変しています。これに対して、紀伊國屋書店は、2012年には本店をリニューアルオープン、4月26日には梅田にも新しい店舗をグランドオープンなどで店舗面積を拡大し、「本との出合いの場所」という書店の役割強化を図っているようです。

最近は書店独自の文庫フェアも多いのですが、中でも、昨年(2012年)に新宿本店で開催した「ほんのまくら」フェアは型破りな企画ということでネットや一般紙・誌で紹介され、大きな話題となりました。書店員お勧めの100点書籍について、著者名・書名・レーベルを一切見えなくして、書き出しの文章だけで客に選択してもらうものでしたが、750冊の目標に対して1万8600冊を販売。ジャンルはほとんど小説ということで、若い女性の来店が多かったようです。「なかなか本店ではなかったこと」だそうですが、ちょっとした冒険心を満たしたということなのでしょうか。

書店員には本との出会いを演出するという大きな役割があります。後半の第6章、第7章、終章では、店頭で本を売る書店員の役割が紹介されています。

ところで、著者の永江氏は、最近、「仕事で使う資料の半分は電子書籍」とのことです。本書の冒頭に、「なぜ紀伊國屋はネット書店や電子書籍販売を始めたのだろう。」という問いがあります。本書の中ではこの問いに対する答えがまだ十分ではないように感じました。次作では、ぜひ、この問いにも答えてほしいものです。

紀伊國屋書店新宿本店の歴史と文化について” への2件のコメント

  1. 紀伊国屋書店は学生時代から使っている本屋さん。最近の店舗入り口に平積みをするようになってからも、2階へ上がっていました。
    電子書籍のサイトも評判良く、あの通販会社のシェアを継続して抑えてますね。

    ぜひ自作では、この問いにも答えてほしいものです。

    ぜひ次作では、この問いにも答えてほしいものです。

    だと思います。

    エクスイズム 徳江 一義

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