『本と装幀』にみる本のかたちに関連する用語

『本と装幀』(田中薫著、沖積舎、2003年発行)

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著者はあとがきで、

現在は「出版の概念」が、大きく変わりつつある時代でもある。だから、「紙に印刷して製本したものが本である」という概念だけが、正しいと言える時代がいつまで続くのかは、誰にもわからない。(p.263)

と述べているが、確かにその通りだと思う。

本書は、本のかたちについて、主に装幀などの観点を中心とする「装幀論」である。ところで、いままでいくつかの本を読んだ範囲では装幀という言葉の意味する範囲は分り難い。著者は大学の先生でもあり、本書ではさまざまな用語の解説も行われているので、本のかたちに関連する用語が本書でどのように規定または使用されているかをまとめてみる。なお、本書には和製本と洋製本の章が設けられているが、以下の用語はほとんど洋製本に関するものと言って良いだろう。

・製本(Book Binding):「加工作業」、「手書きまたは印刷された紙葉を、書物という形に作り上げる不可欠の工程」(p.28)、「紙を順序にまとめて、綴じ、縫い、糊付けするなどして、表紙に接合する作業のこと」(p.29)
・装本(Book Binding Design):「外装、体裁を整えること」「表紙、見返し、小口などに体裁上のデザインを加味すること」(p.29)「製本の設計図を描くデザイナーたちの作業部分」(p.30)
・新装本:判型も装幀も変えて新発行し、新刊扱いをして流通させること(p.21)
・装幀:「日本では、このような書籍の外装や体裁など、主として外観、つまり外回りに関するデザイン上の処理、あるいは、その仕様のことなどを、一般的に〈装丁〉という言葉で表現している。」(p.42)「書物における装幀デザインは、工業製品における意匠デザインや、流通などの便宜性のために、それらを収めるパッケージ・デザインと同じような機能を持っている」(p.73)[1]
・装幀デザイン:装幀と装幀デザインの関係は明示的に定義されていない。「装幀デザインは、… 完全版下という形で入稿することが多くなってきた。」(p.97)
・(装幀)デザイン・ポリシー:「基本的な編集意図を踏まえたデザイン方針」(p.143)、編集担当者と著者の間で討議する(p.146)
・ブック・デザイン:明示的な定義はないが、ブック・バインディング・デザインと同一のようだ。(p.30)
・装幀デザイナー:「装幀デザインを専門とするデザイナー」(p.41)
・ブック・デザイナー:明示的に定義していないが、装幀デザイナーと同一のようだ。(pp.217-219)
・装幀デザイナーの仕事:「(並製本の雑誌では)デザイナーの出番は、表①とよばれる、表表紙と背のデザイン・レイアウトに尽きてしまう」(p.84)、「(上製本では)単に表紙に表面的なデザインを加味するだけでなく、見返しや扉、帯、花布の選択、奧付のレイアウトなどのほか、各種の函なども含めると一冊の本をデザインする上での構成要素は大変多いものである」(p.85)「カバーはもっとも重要な装幀デザインのファクターの一つ」(p.95)
・装幀家、装幀作家:初期の装幀デザイナーのことのようだ(p.175)洋式製本とともに誕生、橋口五葉が初期。グラフィックデザイナーの活動の一環である。(p.173)
・本の中身:外側の体裁と対比している。(p.109)文章主体から、「写真や図版を見せることで正立している」本が増えてきた。(p.112)
・レイアウト:「文章や写真の美的で効果的な配置、つまりその並べ方のこと」(p.118)
・タイポグラフィー:「もともと活版による、文字の配列などのデザインのこと」(p.110)「今日では、ある種の誌面構成、レイアウトなども」(p.112)
・エディトリアル・デザイン:「版面の設定」、「活字の組み方、大きさ、書体などをどうするか」(p.109)「書籍や雑誌の中面のデザイン」「和製英語」(p.116)、「誌面構成のような、編集技術についての事柄を言おうとしている時に使うのは、用法としておかしいのかもしれない」(p.117)
・エディトリアル・デザイナー:「誌面構成に関するデザインを専門的に行う」(p.113)「昭和30年代に入ってから」(p.115)、編集デザイナー(p.116)

[1] 「2 製本と装本」では、装本という言葉を使い、「3 装幀とはなにか?」では装幀という言葉を説明している。どうも、装本と装幀という言葉を同じ意味で使っているように見えるが、定かではない。また、「3 装幀とはなにか?」で引いている『デザイン小辞典』(山崎幸雄他)、『執筆編集校正造本の仕方』(美作 太郎)では、組み方、判型なども装幀に含めているが、本書では、どうも組み方、判型などは含めていないように読める。しかし、「デザインを加味するファクターとして必要なところは、…外側の「目に見える部分のすべて」と言っても良いだろう。」(p.102)という表現もあるので判型などを含むという解釈もできる。本書は全体的に用語の統一がとれていないのが気になる。

米国の本のジャケット 

『編集とはどのような仕事なのか』[1]には「8 装幀・タイトル・オビ」という章があり、装幀は日本の書籍が世界に誇る長所であるという説明がある。

これを読んで米国の本と日本の本を比べて確認してみたいと考えていたところ、昨日、たまたまシカゴのO’Hare空港で空港内の書店があったので、通りがかりにちょっと覗いてチェックしてみた。

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上の写真は書店の様子である。小さな書店なのでそんなに沢山の本はないが、正面の平積になっている本を横から見てもわかる通り、ハードカバーの本はカバー(ジャケット)が付いているが、ソフトカバーの本はジャケットが付いていない。

ざっと見て回ったところ、店内の棚に並んでいる本も同じで、ハードカバーの本にはジャケットがある。しかし、ソフトカバーの本にはジャケットがなく、本の表紙が綺麗にデザインされている。

上の書店では日本の書籍にオビに相当するものが付いている本はみられなかった。

日本の書籍を書店の店頭で見ると、ハードカバーはもとよりソフトカバーも、単行本はほぼすべての本にジャケットが付いている。新書や文庫までジャケットがついている。さすがにオビは新書にはついていないことも多いが。

もとより、たまたま通りかかった米国の書店で本を少しみただけなので、結論を出というのは早すぎると思うが、ジャケットについては米国の書籍の方が合理的に思える。

PS1: facebookに投稿したところ、コメントをいただきました[2]
PS2:用語:ペーパーバック(仮製本)をソフトカバーに変更しました。

[1] 『編集とはどのような仕事なのか』
[2] 日本では書店で売られているほぼすべての本にジャケットが付いているが、これは行き過ぎではないだろうか? 

『鈴木成一デザイン室』(本の装幀について)

『鈴木成一デザイン室』(鈴木成一著、イースト・プレス、2014年8月発行)
四六判、266頁、2300円+税

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『鈴木 成一 装丁を語る』では、25年装幀を手掛けてきたと紹介された著者は、今度は「まもなく30年になる」(p.1)という。

約150冊を振り返って制作の舞台裏やデザインについて語った本である。
最初のまえがきで、装幀とはどういう仕事かが紹介されている。

・あくまで請負の仕事として、大量生産の商品の一端を担う
・原稿がなければ始まらない
・書店で「出合いがしらの発見」が起きることを期待する
・パソコンがでてきたことで勘がほとんどの試行錯誤から、画面上でシミュレーションができるようになった
・「本」は「物」であり、存在感、手に取ったときの迫力、ゾクゾクする感じ、物理的な感触が大事

手の実感が「物」の魅力を生む」という見出しに凝縮されるモノとしての本作りが強調されている。

約150冊のカバー場合によっては帯の写真が掲載されており、その生まれるまでの経過の解説がある。解説を読んで写真をみているだけでも、いろいろな著者が織りなす本の世界が想像できる。

本書で取りあげている本のジャンルは、ほとんどが、小説・エッセイ・SFである。まれに、小林よしのりのマンガ評論(?:読んだことなし)や何冊かの自伝が出てくるくらいだ。自然科学はもとより、社会科学系の本の装幀は、小説に描かれるような情念がなく、デザインを話題に取り上げにくいということなのだろうが。

〇感想
本書で紹介されている装幀の裏話自体は大変面白いし、いろいろな著者について短い紹介があるのも大変参考になる。そういう意味では、手元に置いてときどき目を通してみたい本である。

装幀という工程について鈴木さんの2冊の本を読んだ印象として、本を世に出すにあたって、良い衣装を着せたいという編集者の気持ちは良く理解できるし、書店の店頭での出会いを演出したいという気持ちも良く分かるのだが、個人的には、装幀で本を選んだ経験はすくなくとも意識の上ではまったくないのだが。装幀にコストをかけるとそれなりの効果があるのだろうか? 誰かにマーケティングの実験をして欲しいものである。

と思いましたが、昨日、東京堂の「インテリジェンス」コーナーに並んでいる立派なカバーの本に、カバーのない本が混じっているのを見ました。やはり装幀のない本は貧弱な印象をうけました。このようなジャンルの本を買うべきかどうかは本来は内容で判断するのでしょうが、なかなか内容だけの判断は難しいようです。1冊も購入しなかったので、買うつもりで内容をチェックしなかったのですが、書店の店頭で販売しよういう場合は、装幀のウエィトは大きくならざるを得ないでしょう。着飾ったパーティに普段着で参加するには相当な勇気がないとできませんね。