『本をつくる者の心 造本40年』

『本をつくる者の心 造本40年』(藤森 善貢著、日本エディターズスクール出版部、1986年発行)
四六判、上製本、262頁

20150322

藤森氏は岩波書店で長く仕事をされ、定年退職後は本づくりを軸として出版技術の体系化・教育・普及のために活動された方である。本書は藤森氏が亡くなったあと、日本エディタースクールがまとめたもので「遺稿集」にあたる。神田の古本屋で入手して一気に読んでしまった。藤森氏と縁が深かったという精興社が印刷を、牧製本が製本を担当している。刊行されてから30年近いが、読みやすく、開きやすく、堅牢にできている。造本が素晴らしい本である。

遺稿集ということで、さまざまな原稿が収録されているが、その中核は造本40年という一種の自分史にあたる章(pp. 21-144)である。

藤森氏は岩波茂雄さんの遠縁にあたる方で、岩波氏を頼って上京し、最初は2年ほど東京の書店で働き、書店が解散したあと岩波書店に入店する。昭和の初めの書店の仕事が生き生きと描かれている。岩波書店に入ってからは営業、広告を経験したあと徴兵されて、終戦後再び岩波書店に復帰した。

満州事変後、戦争が近くなった時期の警察による本の検閲や発売禁止本などへの対応の経験(pp. 31-40)を読むと出版が不自由な時代の世相を身近に感じられる。

戦後は書籍の製作にたづさわり、辞書を中心にさまざまな書籍を作ってきた。特に『広辞苑』の製作がもっとも印象深い。他にも『岩波英和辞典』新版、『岩波ロシア語辞典』、『岩波国語辞典』、などなどの実績が次々に登場して眼が眩むほどである。いまではこのような事典を新しく紙で出すのは難しいのではないだろうか。まさしく出版の輝かしい最盛期である。

藤森氏は「活字の可読性」を研究したり、「造本・装幀」、特に本が壊れない造本ということについて科学的な精神で取り組まれ、その集大成が、日本エディタースクールから発行された『出版編集技術』(上下二巻)となったようだ。

製作面の入門者には、最後の「造本上の良い本・悪い本」という章(pp. 203-245)が参考になる。1974年に行われた株式会社ほるぷの幹部研修会の講演録のようだが、最近の造本が悪くなっていることを述べ、戦後はパルプに闊葉樹を使っているため繊維が短く質が低い、短期間に製本するため膠が本に浸透しない、このため本が壊れるという。

講演録ということで若干話が横に跳んだりしているが、造本は内容・用途・刊行意図によって方式を選ぶという考え方について述べている箇所も興味深い。このポイントは、①長く読まれる専門書は30年、50年という堅牢で長期にわたってもつ紙と製本方式を選ぶことになる。このように内容によって上製本にするか、仮製本にするかを決める。②学生の引く小型事典のように使用頻度が多く、持ち運びやすいものは小型で軽く、しかも開きやすく安い、というように用途で形態が決まる。③文庫本や新書のように図書の普及を狙うものは持ち歩き、定価を安くという条件となる。

但し、今は、専門書は電子化して活用しやすくする方が重要で、紙の本は読み捨てにしても良いのではないかとも思える。このようにデジタル化によって考え方の基準を変えるべきところもあるように思う。そういう意味では批判的に検証する読書態度が必要かもしれない。

『本はどのように消えていくのか』

『本はどのように消えていくのか』(津野 海太郎著、晶文社、1996年発行)
四六判、220頁、1900円+税

20150321

書名と同名の短文を中核とする短文集である。一読して、やはり「本はどのように消えていくのか」(pp. 76-97)が最も印象に残る。

本文の趣旨を整理すると、次のようになるだろう。

冒頭で「はたして紙と活字の本はなくなるのか。」と問い、「おそらくなくなるだろう。」、ただし、数百年かかるだろう、と答える。本文で論じているのはどのような過程をたどってなくなるのか? ということである。

まず、紙と活字の本のモノとしての側面を、①明朝体の文字をタテヨコそろえて組み、②それを白い紙の上にインキのしみとして定着し、③綴じてページづけしたもの、と定義付ける。(p.77)

津野さんは、そのような本と並行して、数十年の間に①ネットワークを通じてデータを入手し、②ディスプレイ画面にデジタル文字として表示、③複数のウィンドウを切り替ながら読むという仕組みが出現するという。(p.91)

こうしたモノとしてのデジタル電子本は50年以内には完成するかもしれない。しかし、「いまあるような紙と活字の本が、まるごと別のモノによっておきかえられるには百年、二百年、いや三百年かかる。」(p.92)

その理由は、紙と活字の本は「水のように流れる自分の想念を書くことによってせきとめ、ふかめ、それをインキのしみとして、紙やその他の素材の上にしっかり定着しつづけてきた。」(p.94)、「ディジタル・ネットワークにおける…中略…ディスプレイ画面上の文字はインキのしみではなく、かげろうのようにはかない一瞬の映像に過ぎない。印刷が印刷でないものにとってかわられるということは、…印刷によってきざまれる動と静、運動と定着のリズムが私たちの社会から完全に消滅してしまうことを意味する。」(p.95)

要するに印刷が安心感の根拠であるが、モノとしての電子本が新しい安心感の根拠になるまでの社会あるいは人間の「読書習慣」の変化には数百年かかるだろうから、その間は、紙と活字の本と新しいデジタルの本が共存する期間となる、というのが津野さんの主張の骨子である。

さて、この記事が書かれてから既に20年になろうとしている。この間、活字は既に消滅し、デジタルフォントに置き換えられた、そして印刷もデジタル印刷に変わりつつある。そして、津野さんのいうデジタル電子本も技術的にはかなり進んできた。そして電子書籍が一部で確実に普及している。

しかし、この文章の冒頭の「はたして紙と活字の本はなくなるだろうか?」という設問への答えはまだ見えておらず、相変わらず想像力を掻き立てる問いのままである。

本は津野さんのいうように一つの世界観を封じ込めた精神的なカプセルである。そのカプセルの内容を表示する装置が紙か電子デバイスであるかということが紙の本と現在のデジタル本の違いである。ところで、そのカプセルの内容を紙の上に定着させた場合と、画面に一瞬表示した場合で、読み手に与える効果・影響にどの程度の相違があるのだろうか? これはまだはっきりとはわかっていない。津野さんの主張は、その相違および読書習慣の永続性を強調しすぎているとも思える。

いずれにせよ、日々の糧を得ようとしてアクセクしているわが身にとっては、数百年後に紙と活字の本はなくなるだろうというのは時間のスケールが違いすぎる。

『活字が消えた日』

『活字が消えた日』(中西 秀彦著、晶文社、1994年)
四六判、251頁、2,600円+消費税

20150319

京都の老舗印刷会社中西印刷が活版を完全にやめて電算写植に移行するまでの約6年間をドキュメンタリー風につづった書である。以前から書名は何度も見かけて知っていたがまだ読んでいなかった。たまたま先日神田の古本屋で見つけて早速購入して一読。若旦那こと中西さんの筆力に感銘を受けた。

1980年代から1990年代にかけて15年足らずの間に活版から電算写植へと制作技術が短期間で変遷したときの日々の出来事がまるで目の前の出来事のようにいきいきと描きだされている。

活字を拾い(「文撰」)・活字を凧糸で組み上げてページの形に整える「植字」を行うベテランの職人技に関心しながらも、若旦那はコンピュータを使った合理的な電算写植へと突き進む。

コンピュータによる組版にかけた若い息子と彼の父親である社長の、会社・印刷の未来をめぐる対話も興味深い。家業としての印刷会社ならでは風景である。

活版の設備投資はすべて償却済みなので償却負担がない。それに対して、新しいコンピュータ組版の設備は膨大な新規設備投資必要なため、生産性が上がっても、償却負担が大きくて儲からないという話もある(p.226)。

技術の強みと弱みを見据え、将来性を見て投資の判断を行っていかなければならない印刷会社の経営の難しさも良く分かる。

『出版社社長兼編集者兼作家の購書術 本には買い方があった!』

『出版社社長兼編集者兼作家の購書術 本には買い方があった!』(中川右介著、小学館新書、2015年2月発行)
新書判、208頁、720円+税

20150301

いまは、「本は本屋で売っている」ことを知らない人が多い(はじめに)という衝撃的な文章を読み、本当なんだろうか? と早速購入した。

本を買うための指南書というふれこみであるが、読んでみると、書かれている内容は業界人から見た書籍の流通に関する説明の量が多い、と感じる。

著者が、出版社の経営者であり、また編集者でもあるので当たり前ではあるが、しかし、タイトルと内容にずれがあるのではないだろうか。その分、中途半端なのが惜しまれる。

実際のところ、解説の内容は出版社側の観点からの、次のような話が多い。

・本の初版印刷部数について。新書・文庫は最初にする部数は1万部前後がほとんど。単行本は四六判が最も多く、定価2000円以下で大手の版元だと5000部~1万部が一般的。中小・零細版元の本は3000部が上限。版元の規模と最初の刷り部数は比例する。大手版元はコストが大きいので5000部でないと会社がやっていけないのがその理由である。(p.31)大手では分業体制になっているのでコストが大きくなるとのことだ。
・発売直後の売れ行きを初速という。売れた本か、売れなかった本かは発売直後の数週刊で決まってしまう。(p.47)
・本の値段の決め方は、内容ではなくて製造原価が大きな要因になっている。(p.169)
・印税の話(pp.172-178)

著者自身がかなり大量の本を買っており、その体験に基づく本の買い方についての説明ももちろんある。人によっては参考になるかもしれないが、東京に住んでいて、ある意味業界人としての観点の説明が多いのでかなり異端のように感じる。

今の出版界の稼ぎ頭は、パートワークなのだそうだ。(p.89)
・パートワークとは、「分冊百科」ともいう。など、定期購読もの
・隔週でCDやDVDが付いたもの
・自動車や戦車の模型がついたもの
・全部集めると帆船が組み立てられる
・十数頁の小冊子がおまけについているが、建前は冊子が本体になっている

この他、出版販売は、書籍を取次、書店経由で売るだけでなく、外商、コンビニ、オンライン書店など多様化している実情も説明されている。

やはり、これは業界もののような気がする。

『鈴木成一デザイン室』(本の装幀について)

『鈴木成一デザイン室』(鈴木成一著、イースト・プレス、2014年8月発行)
四六判、266頁、2300円+税

20150228
『鈴木 成一 装丁を語る』では、25年装幀を手掛けてきたと紹介された著者は、今度は「まもなく30年になる」(p.1)という。

約150冊を振り返って制作の舞台裏やデザインについて語った本である。
最初のまえがきで、装幀とはどういう仕事かが紹介されている。

・あくまで請負の仕事として、大量生産の商品の一端を担う
・原稿がなければ始まらない
・書店で「出合いがしらの発見」が起きることを期待する
・パソコンがでてきたことで勘がほとんどの試行錯誤から、画面上でシミュレーションができるようになった
・「本」は「物」であり、存在感、手に取ったときの迫力、ゾクゾクする感じ、物理的な感触が大事

手の実感が「物」の魅力を生む」という見出しに凝縮されるモノとしての本作りが強調されている。

約150冊のカバー場合によっては帯の写真が掲載されており、その生まれるまでの経過の解説がある。解説を読んで写真をみているだけでも、いろいろな著者が織りなす本の世界が想像できる。

本書で取りあげている本のジャンルは、ほとんどが、小説・エッセイ・SFである。まれに、小林よしのりのマンガ評論(?:読んだことなし)や何冊かの自伝が出てくるくらいだ。自然科学はもとより、社会科学系の本の装幀は、小説に描かれるような情念がなく、デザインを話題に取り上げにくいということなのだろうが。

〇感想
本書で紹介されている装幀の裏話自体は大変面白いし、いろいろな著者について短い紹介があるのも大変参考になる。そういう意味では、手元に置いてときどき目を通してみたい本である。

装幀という工程について鈴木さんの2冊の本を読んだ印象として、本を世に出すにあたって、良い衣装を着せたいという編集者の気持ちは良く理解できるし、書店の店頭での出会いを演出したいという気持ちも良く分かるのだが、個人的には、装幀で本を選んだ経験はすくなくとも意識の上ではまったくないのだが。装幀にコストをかけるとそれなりの効果があるのだろうか? 誰かにマーケティングの実験をして欲しいものである。

と思いましたが、昨日、東京堂の「インテリジェンス」コーナーに並んでいる立派なカバーの本に、カバーのない本が混じっているのを見ました。やはり装幀のない本は貧弱な印象をうけました。このようなジャンルの本を買うべきかどうかは本来は内容で判断するのでしょうが、なかなか内容だけの判断は難しいようです。1冊も購入しなかったので、買うつもりで内容をチェックしなかったのですが、書店の店頭で販売しよういう場合は、装幀のウエィトは大きくならざるを得ないでしょう。着飾ったパーティに普段着で参加するには相当な勇気がないとできませんね。

『鈴木 成一 装丁を語る』

『鈴木 成一 装丁を語る』(鈴木 成一著、イーストプレス、2010年)
四六判、242頁、2,000円+税

20150225

25年間、本の装幀を中心に仕事をしているという鈴木成一さんが自分が手掛けた作品の中から120点ほどを選んで演出の意図を解説した本。

装幀の手法別に表紙の画像と解説文、データを整理している。

構成は次のとおり。

①タイトル文字で伝える
②イラストを使う
③読後の印象から発想する
④本の構造を利用する
⑤著者本人、または関係する品を出す
⑥本文中の素材で構成する
⑦モチーフを形にする
⑧アート作品を併せる
⑨あえて何も使用しない

それぞれに演出の工夫が興味深い解説として語られている。本は極端に多品種少量生産なので、その個性を見出して装幀するわけだが、そこにいろいろな工夫・苦心がある。

鈴木さんのお客さんは第一に編集者なので、編集者の期待に応えるということが一番だそうだが、この言葉は、装幀の本義というよりも、商売を長く続ける秘訣だろう。

では装幀の本義はなんだろうか? 「読者や編集者を驚かせる」(p.4)という言葉も出てくるが、最後に装幀とは「本の個性をいかに表現してあげるか」(p.236)ということとまとめている。

〇感想
鷲尾さんの本[1]には、「本にも衣装」という節があり。装幀は日本独特の本の装い、旅立ちを願う気持ちが込められていると言っている。実に日本的である。いま、装幀はほとんどジャケットを作る仕事になっているように見える。ジャケット以外の装幀もありうるとは思うが。そういえば、昔は本は箱に入っていたが、最近の本で箱に入っているものは珍しい。

今のジャケットは流通形態で本を売るという立場からのもので、流通のしくみと密接に関係していると思う。その目的は主に書店の店頭で本に自己主張させることにあるだろう。プリントオンデマンドで本を作るようになると、ジャケットはどうなるのだろうか? 読者個人としてはジャケットは不要な気もする。いずれ別の装幀が生まれるかもしれない。

[1] 『編集とはどのような仕事なのか』

『編集とはどのような仕事なのか』

『編集とはどのような仕事なのか』(鷲尾 賢也著、トランスビュー、2004年初版発行)
四六判、上製本、256頁、2,200円+税

20150221

鷲尾さんは、講談社で「現代新書」編集長、「選書メチエ」創刊を初めとして多数の書籍を編集した名編集者なのだそうだ。本書は鷲尾さんの体験をもとに現役編集者あるいは編集志望者向けの教科書であるが、「編集という仕事は個別的である。ある本に通用したことが、別な企画には役に立たない」(あとがき)ことを念頭に置いてほしいとのこと。

しかし、編集者は本書を繰り返し熟読することで学ぶものが多いように思う。以下、個人的な観点で印象に残ったことのメモである。ちなみに、私は編集者の観点で読んでいるわけではありません。

1.編集者とは何か? の章では編集の機能として次の項目を挙げている(pp.11~14)。
・プランナーである。無から有を作り出す発案者である。
・編集者は著者をたらしこまなければならない。
・フットワーク良く、雑用をこなさねばならない。
・仕事の源は人間である。人間(著者)を育てなければならない。
・志があってほしい。

4.企画の発想法
・編集者のアイデアが出発点。アイデアから著者を見つける。著者を見つけるのも企画力の一つ。
・企画は価値(インパクト)、売れ行き(採算)、実現性の3角形で見る(企画の正三角形)。
・企画力とは(解く能力よりも)問題を作る能力である。
・編集会議で企画を修正・研磨する。編集長は自分なりの正三角形をもっていること。

5.原稿依頼とプロット
・プロットとは筋、構成であり、プロットを作ってから執筆に進まないと危険である。
・近年は編集者がプロット作りに深くかかわるようになった。
・書くことは世界への働きかけ。
・読者との距離感を小さく。

6.催促と読みと修正
・原稿は少しづつもらって早いうちに軌道修正する。
・修正は、著者に繰り返し行ってもらうのが原則。編集者はどのように直して欲しいかを著者に論理的に伝える。修正は苦しいので著者に対する説得力が必要。
・編集者は読者を考えて、途中で本を放り出されないように、分ったという読後感を作り出すために動く。
・読者の目で見て読んでもらえるように。
・原稿の修正を中途半端にしたまま出すのは厳禁。

7.チェックから入稿まで
・生原稿を、一定の方針で整理(原稿手入れ)する。赤字を入れる。
・漢字とひらがなの比率、改行、表現の統一、言い回し、誤字脱字など間違い・差別表現など文章上のチェック。
・四六判は1行40字~45字、1頁14~20行。
・本の単位は32頁。これを1単位にして折という。近年は機械の進化に伴い64頁も可能である。
・目次はふつう章・節で。著者は章・節まで。本文中の項(小見出し)は編集者が挿入する読者サイドの行為。ゴシックで2行取り左寄せが多い。
・目次は自分が読んだ本の中でうまい作り方のものをコピーして真似すると良い。
・参考文献・年表・巻末資料などの作成も編集者の仕事。

8.装幀・帯・タイトル
・日本の書籍が世界に誇る長所の一つが装幀。
・店頭で売れるのか? 目立つか?

11.本に未来はあるか?
・出版社を中心としたシステムが変わる。ここにビジネスチャンスがある。

〇感想
企画の正三角形という考え方はとても面白い。では、書籍以外の製品でも成り立つだろうか、と思って考えてみた。例えばソフトウェア製品では機能構成・用途・APIまたは操作性、競争相手・販売チャネル(販売方法)などもっと多くのパラメータを考慮する必要がある。企画の正三角形というバランス感覚は重要だが、他の業界に適用するにはパラメータが足りないように思う(編集者にはあまり関係ないです)。

本書を通じて一番の印象は、「売れる本を作る」という姿勢である。なにしろ後書きの最後の1行、つまり本書の最終行が「赤字がでるのではないか、実はそればかりを心配しています。」なのだから。うーーん。本書は黒字になったのだろうか? ちなみに、CAS-UBで作って、プリント・オン・デマンドで実売印税なら赤字になることはないのでこの心配はなくなる。逆にどうしたら売上を増やせるか? というところで新しいアイデアが重要になるのだ。つまり「赤字がでることを心配する。」というのは、現在の書籍の流通のしくみを前提としているように思う。ビジネスとしては、どうやってチャンスを広げるかという思考に転換する必要があるのではないだろうかね。

『編集者の仕事』

『編集者の仕事』(柴田 光滋著、新潮新書、2010年発行)
新書版、208頁、定価700円+税

20150219

著者の柴田さんは新潮社で40年間編集経験をもつという方。本書は大学の講座での授業経験から生まれたとのこと、初心者向けにやさしく書かれている。実際に編集に携わる人へのマニュアルではなく、編集の仕事について一般教養レベルでの説明である。

本文は5部からなる。
Ⅰ 本とはモノである
Ⅱ 編集の魂は細部に宿る
Ⅲ 活字は今も生きている
Ⅳ 見える装幀・見えない装幀
Ⅴ 思い出の本から

Ⅰでは、本作りはモノを作る作業であることを、繰り返し説く。

書籍は「心得のある編集者が丁寧に作業した本か、技量のない編集者が適当にやった本かは歴然としている」(p.16)

読みやすく、心地よく頁を繰れる本が良いと言い、具体的な作りの良しあしとして次の点を例に挙げている(pp.15-23)。
・スピン(リボン)がある
・開きが良い、あるいはのど側の余白がある
・目次が内容を伝える
・目次の体裁が良い―書体や行間のバランス

テキスト(原稿)は一次元、本は三次元。本からテキストを抽象的に取り出すのは間違い(p.30)。
モノなので細部までちゃんと仕立てないといけない(p.24)。
書籍の編集はどこかで職人仕事に近い(p.31)。
本は工業生産品ではない(p.31)。

Ⅱは、本文の体裁を中心にしており、技術的な細かい説明もある

個人的には、書籍の編集に関して、微妙なところで用語や仕様が標準化されていないように感じている。本書を見ていくつか新しく理解したこともある。

例えば、四六判は127mm×188mmが標準とされているが、実際の本をモノサシで測ってみると数ミリの相違がある。どうやら製造の誤差だけではないようだ。本書によると、四六判は出版社によってサイズが微妙に異なるということで、柴田さんが長年手掛けてきたのは、130mm×191mmで新潮四六判といい、本文の行数を増やしたい時、ぎりぎりで133mm×191mmも可能(p.43)だそうだ。

実際の本ではいろいろな場所にいろいろな扉が使われている。一方、最近はEPUBの仕様書(英文)にもNaka-Tobiraという用語が登場している[1]。W3Cの文書でもNaka-Tobiraという言葉が、英語で随所に出てきている。おそらく、『日本語組版処理の要件』の影響だろう。

しかし、中扉は特に用語として不統一と感じており気持ちが悪い。つまり、①1冊の本が幾つかに分かれる時に挿入する表題を扉の形式で入れるという説明([2])と、②本文が始まる前に書名を掲げる扉という説明が二つみられる。本書では扉については次のような説明がなされている(pp.57-59)。

・別紙の本扉:書名を記した別紙。別丁扉ともいう。目次の前にある。単行本にある。
・本文紙の本扉:本文紙の最初(1頁目)の扉
・目次扉:目次が2頁以上になる場合は、目次扉を付けるのが一般的。「目次」ないし「書名+目次」を記す。
・中扉:書名を記した扉。目次の後に出てくる。本扉の繰り返しに近い。
・題扉または章扉:章題または短編集の作品名。見出しが独立したもの。

目次扉とか、題扉という用語は、あまり他で見かけたことがなかったのだが、これらは、そのままで意味が通じる・分かりやすい用語なのでもっと普及して欲しいものだ。

[1] EPUB 3.0.1 Changes from EPUB 3.0 2.11 The rendition:align-x-center propertyにThis property was added primarily to handle the problem of Naka-Tobira.とある。
[2] デジタル大辞泉の解説日本語組版処理の要件(日本語版)もこの解釈。

〇JIS X4051の中扉の定義は「書籍の内容が大きく区分される場合に、その内容の区切りを明らかにするために本文中に挿入する」(91)とある。本文の定義をみると、本文は「書籍を構成する主要部分。通常、その前には前付けがつき、その後ろには後付けがつく」(117)とある。従って、JIS X4051では、本文と前付けの間にはいる扉は、中扉ではないということになるだろう。

〇日本語組版処理の要件(日本語版)は、「中扉は,書籍の内容を大きく区分する場合に用いる.標題のために1ページを用い(改丁とする),裏面は白ページにする.」(4.1.1 見出しの種類)とある。ここはJIS X4051と同じだが、その後ろに「大きく内容を区切る要素がない場合は,前付の直後,つまり本文の先頭に書名を中扉として掲げることもよく行われている.」とあって曖昧にしている。

しかし、実際の本を調べると、書名を記した中扉と部または章扉が両方ある本も見つかる。また、章扉の裏に章の本文を入れている本もある。こうしてみると柴田さんのように中扉は本扉の繰り返しとし、題扉・章扉は部や章の表題(見出し)のスタイルの一種と考える方が良いのではないだろうか。このあたりは、実態と要求仕様のかい離が大きいように感じる。

『書籍編集制作』

『書籍編集制作』(中島 正純著、あっぷる出版社、2014年3月発行)
A5判、総頁232頁、定価2000円+税、横組

20150217

57年間一貫して編集制作に携わってきた中島さん(著者)による実務的なマニュアルである。

総論と各論に分かれており、総論は全体的な流れ、各論ではデスクワークの作業を網羅している。各論の内容は次の構成になっている。

A. 企画から原稿入手まで
B. 制作計画
C. 用紙
D. 印刷文字
E. 組版
F. 製版と刷版
G. 製本
H. 原稿整理から校正まで
I. 印刷・製本管理から納本指定まで
J. 出版原簿から広報宣伝まで

各論の内容は、各項目とも具体的で懇切である。著者の独自のやり方ではないかと思われるものも多い。

例えば、「B. 制作計画」に本の内容を順番に整理したものとして次の表が出てくる。

・順付け一覧表(pp.46-48)
・原稿数量一覧表(pp.48-49)
・順付け進行表(pp.48-49)

順付け表が印刷所との連絡面で重要な役割を果たしているようだが、順付け表という言葉は一般的なのだろうか?

「E.組版」の項はもっとも多い頁数が割かれている。版面の寸法を紙面に対する割合から計算で割り出す(pp.75-81)方法は独特ではないだろうか? 著者もいうとおり電卓を手元に置いて計算する必要がある。本文中の引用文の組み方、見出しの組み方・見出しの行取り、箇条書きの組み方、注、圏点とルビ、表の体裁も類書と比べて格段に詳しい。

用紙サイズの説明、折り方、製本なども図を多用して説明しているので、判りやすい。随所に手書きの図がでており、まさに「古い編集者の手作りの味」(「はじめに」より)がする。

『たのしい編集』

『たのしい編集』(和田文夫・大西美穂著、ガイア・オペレーションズ発行、2014年)
横127mm×高さ174mm(四六判の変形(?))、総頁数286、定価本体2,200円+税

20150214

35年に渡って本を編集してきたという和田さんが本づくりについてのアイデアやメモをまとめたものである。簡単なノウハウも含まれているので、同業者へのノウハウの開示にあたるが、むしろ後に続く若手に伝えておきたいメッセージをまとめたと解釈したい。

第一章 編集、第二章 DTP、第三章 校正、第四章 装丁、第五章 未来という構成になっており、幅広いテーマを扱っている。各章は2から6頁の短文をあつめており、短文ひとつひとつのテーマはエッセンスになっている。ブログ記事をあつめて本を作るのに近いかもしれない。全体として制作現場で本を形に作り上げるところに力点があるようだ。

各章の終わりにインタビューや参考図書の紹介があるなど、開始から終了まで一直線ではなく、回り道のある作り、雑誌的な作りになっている。全体をまっすぐ読むだけではなく拾い読みもできるし、肩がこらない。読んでいてたのしい本である。

また、和田さんは本づくりのたのしさということを繰り返し強調している。ご本人はもともと本を読むのが楽しく、その経験から出版の世界に入ったということなので、本そのものが好きで、また、ものを作ることも好きなのだろう。この本も自分の好きなように作ったようだ。なにしろ、たのしさのあふれた本である。

20世紀の終わり頃から、編集者がDTPを手にして自由な版面を作れるようになった、昔の活版や写植でレイアウトしようとすると、おそらく非常に手間がかかったであろうレイアウトをDTPを使えばいとも手軽にできる。「もうひとつの編集作業」(pp.98-102)では編集者がDTPをおこなう最大のメリットとして、「編集作業と密接に結びついた本づくりが可能になること」とあるが、本書の判型・版面・レイアウトから記事の構成まで、DTPによる手軽な版面作りの実践例でもある。

今後は、本のコンテンツはWebと競合する部分が増える。本という形態が存続するには、Webとの差別化が重大な課題になるだろう。そのためには、本書のように体裁にこだわって自分好みの本を作るというのはひとつの方策である。こういう方策は、自分で書いて、自分自身が発行元になっているからこそできることである。(読み返したらKindle Digital Publishing=電子本こそそうじゃないかと思いました! むむ。)

著者も電子書籍について、随所で言及しているが、「紙か、電子か」(pp.254-257)がそのまとめのようだ。この節の最後に「本とはパッケージにほかならない。」と断言した直後に「電子本の登場で、本という存在形式そのものへの再考が必要とされているのかもしれない。」という疑問を提示しているところに、著者の未来への迷いを感じる。