出版の歴史に学ぶ『歴史のなかの「自費出版」と「ゾッキ本」』(大島一雄、芳賀書店発行)

電子書籍元年(2010年)からもうすぐ満2年になるが、まだまだ電子書籍の行方は見えてこない。こういう時期には、出版の歴史を過去に遡って調べて、混沌から秩序へどういう展開があったのかを学ぶのも良いのではないだろうか。

ということで、『歴史のなかの「自費出版」と「ゾッキ本」』(大島一雄、芳賀書店発行)を読んでみた。以下、本に書かれていたこと、そこから考えたことのメモである。

現在、自費出版と言う言葉は一般的であり、商業出版社、出版流通、書店などに属する業界人や職業作家からは若干低く見られているように思われる。しかし、自費出版の歴史は、出版(印刷)の歴史と結びついている。グーテンベルグが最初に作った「四十二行聖書」も立派な家が八軒も建てられるほどの借金で作った(p.62)ものであり、予約注文を集めて180部刷ったとはいえ自費出版には変わりはない。

日本では江戸時代の松尾芭蕉の「貝おほひ」、井原西鶴の「好色一代男」は自費出版的なもの(p.70)である。「好色一代男」はその後、世間に迎えられるようになり、様々な書肆(本を作り・売る書店)から出版されるが、言ってみれば本が売れたので本屋が扱ったというようなものである。現代的のような出版社、著者、流通が分業している世界での商業出版とは言えない。

近代の著名な著者の例では徳富蘆花「黒潮」、島崎藤村「破戒」、「春」、「家」(1906~1911)(pp.81~82)、宮沢賢治「春と修羅」(1924/4)、「注文の多い料理店」(1924/12)が(pp.116~117)、これ以外にも自費出版と確認された本の例がいろいろ取り上げられている。しかし、出版された本の奥付けだけでは費用を誰が負担したかが分かりにくいので表に出てこないが、著名な著者の本で、費用を著者が負担するという意味での自費出版で発行されたものは限りなくあるのだろう。

このように自費出版は印刷の歴史とともに生まれたようなもので、現在のように業界人、職業作家が分業化する以前からずっと続く、出版の原始マグマであると言える。新しい時代では、原始マグマに遡り、マグマをどう噴出させるを考えてみるのも良いだろう。

一方、「ゾッキ本」と言う言葉は聞いたことがなかった。「ゾッキ本」とは売れない本をダンピングして売るものを指していう(p.47)とある。本書にはこのほか、次のような用語が登場する。

・赤本
・作り本
・私家本
・地下本
・特価本
・自由価格本
・円本
・新古書
・海賊本
・バーゲンブック
・プロモーショナル・ブック

これらの用語の多くは書籍の流通・販売方法に関わるものだ。その中でも、「ゾッキ本」は、売ろうと見込んでして大量に作ったが、見込みに反して売れないので原価を割るようなダンピングで売るというということ。『出版販売を読む』という本に「デッドストックは時には処分した方が良いとされるときもあります。」とされている(p.147)。ブランドを大事にする出版社にとっては「ゾッキ」はブランド失墜を避けるために行ないたくないこと。自尊心の強い著者にとっては「自分の本が売れない」という不名誉は認めたくないことでもあり、あまり話題にしたくないことなのだ。

自費出版は出版の入り口、ゾッキ本は出版の出口の話であるが、いずれにしてもWebと電子書籍の時代では、この両者の概念も完全な見直しあるいは両方とも死語になってしまうのかもしれない。

《データ》『歴史のなかの「自費出版」と「ゾッキ本」』(大島一雄著、2001年2月発行、芳賀書店、ISBN4-8261-0160-0)