『本と装幀』にみる本のかたちに関連する用語

『本と装幀』(田中薫著、沖積舎、2003年発行)

20150505
著者はあとがきで、

現在は「出版の概念」が、大きく変わりつつある時代でもある。だから、「紙に印刷して製本したものが本である」という概念だけが、正しいと言える時代がいつまで続くのかは、誰にもわからない。(p.263)

と述べているが、確かにその通りだと思う。

本書は、本のかたちについて、主に装幀などの観点を中心とする「装幀論」である。ところで、いままでいくつかの本を読んだ範囲では装幀という言葉の意味する範囲は分り難い。著者は大学の先生でもあり、本書ではさまざまな用語の解説も行われているので、本のかたちに関連する用語が本書でどのように規定または使用されているかをまとめてみる。なお、本書には和製本と洋製本の章が設けられているが、以下の用語はほとんど洋製本に関するものと言って良いだろう。

・製本(Book Binding):「加工作業」、「手書きまたは印刷された紙葉を、書物という形に作り上げる不可欠の工程」(p.28)、「紙を順序にまとめて、綴じ、縫い、糊付けするなどして、表紙に接合する作業のこと」(p.29)
・装本(Book Binding Design):「外装、体裁を整えること」「表紙、見返し、小口などに体裁上のデザインを加味すること」(p.29)「製本の設計図を描くデザイナーたちの作業部分」(p.30)
・新装本:判型も装幀も変えて新発行し、新刊扱いをして流通させること(p.21)
・装幀:「日本では、このような書籍の外装や体裁など、主として外観、つまり外回りに関するデザイン上の処理、あるいは、その仕様のことなどを、一般的に〈装丁〉という言葉で表現している。」(p.42)「書物における装幀デザインは、工業製品における意匠デザインや、流通などの便宜性のために、それらを収めるパッケージ・デザインと同じような機能を持っている」(p.73)[1]
・装幀デザイン:装幀と装幀デザインの関係は明示的に定義されていない。「装幀デザインは、… 完全版下という形で入稿することが多くなってきた。」(p.97)
・(装幀)デザイン・ポリシー:「基本的な編集意図を踏まえたデザイン方針」(p.143)、編集担当者と著者の間で討議する(p.146)
・ブック・デザイン:明示的な定義はないが、ブック・バインディング・デザインと同一のようだ。(p.30)
・装幀デザイナー:「装幀デザインを専門とするデザイナー」(p.41)
・ブック・デザイナー:明示的に定義していないが、装幀デザイナーと同一のようだ。(pp.217-219)
・装幀デザイナーの仕事:「(並製本の雑誌では)デザイナーの出番は、表①とよばれる、表表紙と背のデザイン・レイアウトに尽きてしまう」(p.84)、「(上製本では)単に表紙に表面的なデザインを加味するだけでなく、見返しや扉、帯、花布の選択、奧付のレイアウトなどのほか、各種の函なども含めると一冊の本をデザインする上での構成要素は大変多いものである」(p.85)「カバーはもっとも重要な装幀デザインのファクターの一つ」(p.95)
・装幀家、装幀作家:初期の装幀デザイナーのことのようだ(p.175)洋式製本とともに誕生、橋口五葉が初期。グラフィックデザイナーの活動の一環である。(p.173)
・本の中身:外側の体裁と対比している。(p.109)文章主体から、「写真や図版を見せることで正立している」本が増えてきた。(p.112)
・レイアウト:「文章や写真の美的で効果的な配置、つまりその並べ方のこと」(p.118)
・タイポグラフィー:「もともと活版による、文字の配列などのデザインのこと」(p.110)「今日では、ある種の誌面構成、レイアウトなども」(p.112)
・エディトリアル・デザイン:「版面の設定」、「活字の組み方、大きさ、書体などをどうするか」(p.109)「書籍や雑誌の中面のデザイン」「和製英語」(p.116)、「誌面構成のような、編集技術についての事柄を言おうとしている時に使うのは、用法としておかしいのかもしれない」(p.117)
・エディトリアル・デザイナー:「誌面構成に関するデザインを専門的に行う」(p.113)「昭和30年代に入ってから」(p.115)、編集デザイナー(p.116)

[1] 「2 製本と装本」では、装本という言葉を使い、「3 装幀とはなにか?」では装幀という言葉を説明している。どうも、装本と装幀という言葉を同じ意味で使っているように見えるが、定かではない。また、「3 装幀とはなにか?」で引いている『デザイン小辞典』(山崎幸雄他)、『執筆編集校正造本の仕方』(美作 太郎)では、組み方、判型なども装幀に含めているが、本書では、どうも組み方、判型などは含めていないように読める。しかし、「デザインを加味するファクターとして必要なところは、…外側の「目に見える部分のすべて」と言っても良いだろう。」(p.102)という表現もあるので判型などを含むという解釈もできる。本書は全体的に用語の統一がとれていないのが気になる。

本の形を考える―段落のインデント(CAS-UBの場合どうするか(草稿))

CAS-UBでユーザーが段落・パラグラフ(p要素)を配置できる要素について検討してみます。以下は、CAS-UB実装メモであり検討中のものです。

注意)CAS-UBは内部的にはHTMLを主にクラス属性を使って拡張した形式でデータを処理しています。但し、コンテンツを記述するのは簡易マークアップ記法であるCAS記法を用いているため、HTMLで使うことのできるすべての要素の組み合わせを記述することができません。

〇章・節・項など(div class=”level2″~div class=”level9″)の内容
pはh1~h6タグの兄弟となる。

〇引用(blockquote)
pはblockquoteの子供である。
引用の中に見出し(h1~h6)を置いたとき、pはdivの子供でh1~h6の兄弟となる。

1.短い引用は段落の中に取り込む。MLAは散文なら4行以内は取り込む。([1]p.124)
2.散文の長い引用。([1]p.125)
2.1 一段落またはその一部だけを引用するとき、一行目を他の行よりもインデントしない。
2.2 二つ以上の段落を引用する必要があるとき、各段落の一行目を1/4インチだけ追加でインデントする。もし、オリジナルが最初の段落を深くインデントしてないなら、最初の段落をインデントしないで2段落以降のみインデントする。

〇表のセル(td, th)
HTMLのモデルではliの中にpを置くことができるがCAS記法では記述できない。
但し、HTMLの表を直接埋め込んだ場合には、表のセルはパラグラフを複数含むことができる。

〇箇条書きの説明(li)
HTMLのモデルではliの中にpを置くことができるがCAS記法では記述できない。liの内容が二つ以上のパラグラフをもつことはない。

〇用語定義リストの説明(dt)
HTMLのモデルではliの中にpを置くことができるがCAS記法では記述できない。liの内容が二つ以上のパラグラフをもつことはない。

〇特殊なブロック
CAS記法では、次の5種類のクラス属性をもつdiv(ブロック)を特殊化したブロックと言い、それぞれにスタイルをあらかじめ指定しています。
1. サマリー(div class=”sum”)
2. コラム(div class=”col”)
3. 注釈(div class=”ann”)
4. 画像(div class=”fig”)
5. 表(div class=”tbl”)

1~5でpはdivの子供である。
キャプションがあるとき、pは、div class=caption の兄弟となる。

〇検討事項
CAS記法ではクラス属性のないdivの中にパラグラフを記述できます。このときpはdivの子供となります。このdivの最初の子供であるpを先頭の段落とするべきかどうか?

その他例えば、パラグラフとパラグラフの間に、別のブロック要素が挿入されたときブロック要素の後に続くpは一つ目とするべきか、それとも二つ目(以降)とするべきか? →継続する段落はpにcont属性を付ける。

段落と段落の間に空きがあったとき。ポーズの空きがあるとき、空きの後の段落はどうするか?

〇参考資料
“Thinking with Type”[2]に、段落のレイアウト・スタイルの様々な見本が掲載されている。

[1] MLA Style Manual and Guide to Scholary Publishing
[2] http://www.thinkingwithtype.com/contents/text/#Marking_Paragraphs

本の形を考える―箇条書きのスタイル(草稿)

英語の本の箇条書き(リスト)のスタイルについて調べてみました。まだ、調査は不十分で規則として言えるような段階ではないですが。とりあえず整理してみます。この文章では、箇条書きとリストは同じ意味で用いています。

最初にルールブックの記述を見ます。

1.Hart’s rule[1]
・箇条書きにはディスプレイとインラインがある(p.286)

ディスプレイ・リストには3つのタイプがある(p.287)
・番号や文字で印をつける
・ビュレットで印をつける
・マーカーのないリスト

番号・文字・ビュレット(p.288)
・ローマン、イタリック、ポイント有無はデザインによる
・Oxford Style:1、(a)、(i)の順だが、1、(i)、(a)でも良い
・階層が深い時は、大文字のアルファベット、大文字のローマ数字を使っても良い
・項目の階層が無い時はビュレットのようなタイポロジカル記号を使う。ビュレットと項目テキストの間はenスペース。

番号もビュレットもない単純なリストでも良い

2.Chicago Style[2]

テキストの中に入るリストと縦に配置するリストがある。リストを縦に配置するのは次のとき。(6.124)
・タイポグラフィックに目立つようにする
・長い
・階層がある

項目を番号付ける時、番号にはピリオドを付けて、テキストは大文字で開始する。項目が2行以上になるときはハンギング・インデントとする。番号付きリストでは先頭は1行目のテキスト開始位置に揃える。インデントする代わりに項目間を空けても良い。(6.127)

項目が長い時は、番号付き段落としても良い。(6.128)

番号付きリストをさらに階層化するときは、番号と文字の両方を使ってよい。数字は最下位で桁ぞろえする。括弧で括る文字はローマンでもイタリックでも良い。階層が深い時の例:

Ⅰ.>A.>1.>a)>(1)>(a)>i)

(6.130)

3.実際の本におけるスタイル

実際の英語の本(4冊)で縦に配置する箇条書き(ディスプレイ)スタイルをチェックしてみました。まだ、確認したケースが少なく、基本的にデザイン依存ですので一般的な要件とは断言できませんが、次のようになっていました。

(1) ラベルのない箇条書き

実際の本では、番号や記号のラベルをつけないで項目を並べる箇条書きは、事例を挙げるまでもなくかなり頻繁にでてきます。その特徴は:
・ブロック全体の左余白は文脈依存
・ブロックの前・後の空きは文脈依存
・1項目の長さが2行になるとき、2行目以降は字下げする(ハングング・インデント)
・項目が短い時、2段組みされることがある
・項目の内容をいくつかのフィールドに分けることがあり、フィールド先頭をタブで位置揃えできると良い

(2) 番号なし箇条書き

番号なし箇条書きは、各項目の先頭にビュレットを置いて項目を目立つようにするものであり、ビジネス本などでは良く見かけます。その特徴は:
・ブロック全体の左余白は文脈依存である。しかし、敢えて言えばビュレットの位置をブロックのパラグラフ左開始位置に置くのが多いようだ。
・ブロックの前・後の空きは文脈依存である。
・項目と項目の間を項目内の改行幅よりも広くすることがある
・ビュレットと項目のテキスト間には若干の空きがある。項目が長い時、2行目は1行目のテキスト開始位置に揃える。

(3) 番号付き箇条書き
番号付き箇条書きもビジネス書などで頻繁に見かけます。その特徴は:
・ブロック全体の左余白は文脈依存である。しかし、敢えて言えば番号の位置をブロックのパラグラフ左開始位置に置くのが多いようだ。
・ブロックの前・後の空きは文脈依存である。
・番号と項目のテキストの間には若干の空きがある。項目が長い時、2行目は1行目のテキスト開始位置に揃える。
・第一階層の番号は通常はアラビア数字で区切りにはピリオドを付ける。

[1] “New Hart’s Rule” Oxford University Press 2005
[2] “The Chicago Manual of Style. 15th Edition” The University of Chicago Press, 2003

本の形を考える―最初の段落の先頭行字下げ規則は?

本の形を考える―段落と段落のスタイルを考える(草稿)(4月5日)[1]で次のように書きました。

英語の文章では先頭の段落は字下げせず、次の段落以降を字下げすることが多い

英語のスタイルの本で先頭段落の字下げについて明記している本は少ないようですが、”New Hart’s Rule”[2]には次のように記述されています。

章、節、項の見出しに続くテキストの最初の行は左マージンまでフルに配置され、パラグラフのインデントはない。続く各パラグラフの最初の行は通常インデントされる。(p.15)

このパラグラフ・スタイルを自動組版でできるだけ簡単に実現するには、先頭の段落とはなにかをプログラムで処理できるように規定する必要があります。そのために実際の本ではどうなっているかを調べてみました。

次に挙げる例は、”Making News at the New York Times”[3]の一部分です。

この本では、章、節の見出しに続く第1段落は字下げなし、第2段落以降は字下げするという標準的な段落スタイルで組版されています。

page150
図1 章のタイトルの直後の段落は字下げしない例(p.150)

本書はニューヨークタイムズの編集現場でのフィールド調査の報告で、記者に対するインタビューの引用箇所が多数あります。引用箇所の多くでは引用の直後の段落で字下げしていません。つまり直後の段落を第1段落として扱っているわけです。

p46
図2 引用の直後の段落で字下げしない例(p.46)

しかし、さらに調べますと、引用の直後の段落で字下げしている箇所も見つかります。

p80
図3 引用の直後の段落で字下げする例(p.80)

こうしてみますと、引用直後の段落を第1段落として扱うか、続きの段落として扱うかは文脈依存になるようです。

MLA Handbook[4]を見ても、引用文のブロックの直後の段落を継続段落(先頭行字下げ)とするか、最初の段落(先頭行を字下げしない)とするかは、文脈依存になっています。

実際の本では、段落と段落の間に、図、数式、引用、箇条書き、(プログラム)コードなどのブロックが入ることが多いのですが、それらのブロック直後の段落で字下げするかどうかを画一的なルールで処理するのは難しいようです。

[1] 本の形を考える―段落と段落のスタイルを考える(草稿)
[2] “New Hart’s Rule” Oxford University Press 2005
[3] Nikki Usher “Making News at the New York Times” The University of Michigan Press, 2014
[4] “MLA Handbook for Writers of Research Papers. Seventh Edition” The Modern Language Association of America, 2009 MLA Handbookは、学部レベルのレポート執筆要綱のガイドなので本文の記述ではなく、印刷された本のレイアウトを見ています。

本の形を考える―製本した本の扉の種類について日本語と英語の本の対応つけについて検討(草稿)

CAS-UBは、プリント・オン・デマンドで制作する本を作る機能を強化しています。

製本した本には一定の構造があります。基本的なところでその基本構造に従いながらも、いろいろな構成の本を簡単に制作できるようにするのが課題のひとつです。

まず、基本的な構造を整理します。本の構造を大きく分けると表紙と内容に分かれます。内容はさらに前付け、本文、後付けに分けられます。前付けは、前書き、献辞、謝辞、目次などの諸要素を含みますが、そのうちで一番ややこしいのが本の書名を記載した扉関係です。なぜかと言いますと書名を記載した扉は表紙を別にしても3つ配置される可能性があるためです。どの扉がどこに配置されるかを整理する必要があります。

さらに、CAS-UBでは日本語と英語の本を制作しますので、日本語の本と英語の本の両方を考慮しなければなりません。実際の本を調べますと日本語の本と英語の本ではかなり違います。日本語の本は扉の付け方がまちまちで不規則になっています。英語の本は規則的に作られているようです。

しかし、そういっては話が成り立ちませんので、英語版と日本語版の比較を含めて、次のように整理しようかと考えています。

日本語の本 英語の本
表紙 Cover
前扉(仮扉) Bastard title(Book half title)
本扉(化粧扉) Title page
目次扉
書名扉(中扉) Half title(Second book half title)

以下に、実際の本での扉の付け方と合わせて説明します。説明の中の各タイプ扉の出現比率は、日本語の本は手元の本102冊(2000年以降発行)を調べた結果、英語の本は19冊(1980年代~2000年代が中心)を調べた結果です。なお、まだ調査した本の数が少ないため、数字は一応の目安とお考えください。

1.表紙、Cover

表紙は表1(表面)、表2(表1の裏面=内側)、表3(裏表紙の内側)表4(裏表紙)があります。このほか背表紙もあります。ここでいう表紙とは表1を指します。

英語でCoverといいますと、ジャケットを示しそうですので他に良い表現があると良いのですが。

2.前扉(仮扉)、Bastard title(Book half title)

カバーの内側で、カバーを捲ったときの本の最初に出てくることがある書名のみを記載した扉です。但し、日本語の本では前扉のないものが大多数です。手元の日本語の本では前扉のある本は1割以下でした。また、日本語の本は、本扉の後に、書名だけを記載した前扉が現れることがあります。この場合、本扉と前扉の前後が逆になります[1]

一方、英語の本は約9割の本に書名のみを記載した扉があります。A History of the Bastard Title[2]にBastard titleの歴史の説明があります。昔は、印刷した本は製本しない状態で販売し、本を購入した人が自分で製本したそうです。印刷した本を積み上げて販売する際に本扉が傷まないよう、本扉の前に書名だけ印刷した紙を一番上に置いたようです。すべての本が製本して販売されている現代ではBastard titleは不要で、本の盲腸といえるかもしれません。なお、Bastard titleとHalf titleは同じものと考える人もいて、あまり統一されてはいないようです。

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図1 Bastard Titleの例

3.本扉、Title page

書名(タイトル)、副題、著者、発行元などを記載した扉。これが正式な本の扉と言えるようです。日本語の本では本文とは別の用紙に印刷することも多くあります。本扉、Title pageはすべての本にあります。英語の本では、Title pageの裏面には権利関係などの表示があります。

20150329a
図2 Title Pageの例(この例では、Bastard Titleの裏頁(左頁)に、著者の書籍リストが紹介されています。)

4.目次扉

日本語の本では、目次の前に「書名」+「目次」と印刷した扉が配置されることがあります。手元の本では約4割強の本に目次扉がありました。英語の本では目次扉に相当する扉は見当たりません。

5.書名扉(中扉)、Half title(Second book half title)

本の前書きや目次などを前付けと言いますが、前付けと本文の間に、書名のみを記載した扉を挟む場合があります。これを英語ではHalf title[3]と言うようです。書名扉がある本はどちらかというと少数派で、日本語の本は2割強、英語の本は4割程度です。

なお、日本語の本では、書名扉と本文の間に、献辞、クレジットなどの前付けの一部が置かれることがあります。このため書名扉が前付けなのか本文なのか曖昧です。英語の本ではHalf titleに一葉を使う(裏白)のことが多く、Half titleは本文の開始になっています。またHalf titleを本文頁番号の開始位置にする本と本文頁番号には含めないケースがあります。

「Modern Methods of Book Composition」という20世紀初頭に書かれた本[4]の130項の注には、Bastard TitleとHalf Titleを混同してはいけないと書いてあります。しかし、前述のようにBastard TitleとHalf Titleを区別していないで同じとしているケースもあります[5]。このあたりには本の歴史のとらえ方も関係しているかもしれません。どちらが妥当かはまだ分かりませんが、Bastard TitleとHalf Titleを両方もつ本もありますのでとりあえず別として考えておきます。

[1]日本語の本では、本の書名などをデザインして本文と別の用紙に印刷する(化粧扉と呼ぶらしい)ことが一般的(調査した本の4割強)に行われています。そのとき次に本扉を置くことがあります。このときは化粧扉+本扉の組になります。英語の本はそのようなものが少ないようです。このあたりはもっと調べてみる必要があります。
[2]http://blog.bookstellyouwhy.com/history-of-the-bastard-title
[3]http://en.wikipedia.org/wiki/Half_title
[4]http://archive.org/details/practicetypogra11vinngoog
[5]http://andreareider.com/2011/01/23/the-basics-of-book-design/
[6] ()内の仮扉、中扉、Book half title、Second book half titleは、「書籍編集制作」(中島 正純著、あっぷる出版社、 2014年3月)pp.44-45による。(2016年6月14日追記)

参考)本の形を考えるシリーズ
1.本の折り方と書籍の総ページ数-今の本は8ページ単位で折っているものも結構多いようです

『本をつくる者の心 造本40年』

『本をつくる者の心 造本40年』(藤森 善貢著、日本エディターズスクール出版部、1986年発行)
四六判、上製本、262頁

20150322

藤森氏は岩波書店で長く仕事をされ、定年退職後は本づくりを軸として出版技術の体系化・教育・普及のために活動された方である。本書は藤森氏が亡くなったあと、日本エディタースクールがまとめたもので「遺稿集」にあたる。神田の古本屋で入手して一気に読んでしまった。藤森氏と縁が深かったという精興社が印刷を、牧製本が製本を担当している。刊行されてから30年近いが、読みやすく、開きやすく、堅牢にできている。造本が素晴らしい本である。

遺稿集ということで、さまざまな原稿が収録されているが、その中核は造本40年という一種の自分史にあたる章(pp. 21-144)である。

藤森氏は岩波茂雄さんの遠縁にあたる方で、岩波氏を頼って上京し、最初は2年ほど東京の書店で働き、書店が解散したあと岩波書店に入店する。昭和の初めの書店の仕事が生き生きと描かれている。岩波書店に入ってからは営業、広告を経験したあと徴兵されて、終戦後再び岩波書店に復帰した。

満州事変後、戦争が近くなった時期の警察による本の検閲や発売禁止本などへの対応の経験(pp. 31-40)を読むと出版が不自由な時代の世相を身近に感じられる。

戦後は書籍の製作にたづさわり、辞書を中心にさまざまな書籍を作ってきた。特に『広辞苑』の製作がもっとも印象深い。他にも『岩波英和辞典』新版、『岩波ロシア語辞典』、『岩波国語辞典』、などなどの実績が次々に登場して眼が眩むほどである。いまではこのような事典を新しく紙で出すのは難しいのではないだろうか。まさしく出版の輝かしい最盛期である。

藤森氏は「活字の可読性」を研究したり、「造本・装幀」、特に本が壊れない造本ということについて科学的な精神で取り組まれ、その集大成が、日本エディタースクールから発行された『出版編集技術』(上下二巻)となったようだ。

製作面の入門者には、最後の「造本上の良い本・悪い本」という章(pp. 203-245)が参考になる。1974年に行われた株式会社ほるぷの幹部研修会の講演録のようだが、最近の造本が悪くなっていることを述べ、戦後はパルプに闊葉樹を使っているため繊維が短く質が低い、短期間に製本するため膠が本に浸透しない、このため本が壊れるという。

講演録ということで若干話が横に跳んだりしているが、造本は内容・用途・刊行意図によって方式を選ぶという考え方について述べている箇所も興味深い。このポイントは、①長く読まれる専門書は30年、50年という堅牢で長期にわたってもつ紙と製本方式を選ぶことになる。このように内容によって上製本にするか、仮製本にするかを決める。②学生の引く小型事典のように使用頻度が多く、持ち運びやすいものは小型で軽く、しかも開きやすく安い、というように用途で形態が決まる。③文庫本や新書のように図書の普及を狙うものは持ち歩き、定価を安くという条件となる。

但し、今は、専門書は電子化して活用しやすくする方が重要で、紙の本は読み捨てにしても良いのではないかとも思える。このようにデジタル化によって考え方の基準を変えるべきところもあるように思う。そういう意味では批判的に検証する読書態度が必要かもしれない。

『本はどのように消えていくのか』

『本はどのように消えていくのか』(津野 海太郎著、晶文社、1996年発行)
四六判、220頁、1900円+税

20150321

書名と同名の短文を中核とする短文集である。一読して、やはり「本はどのように消えていくのか」(pp. 76-97)が最も印象に残る。

本文の趣旨を整理すると、次のようになるだろう。

冒頭で「はたして紙と活字の本はなくなるのか。」と問い、「おそらくなくなるだろう。」、ただし、数百年かかるだろう、と答える。本文で論じているのはどのような過程をたどってなくなるのか? ということである。

まず、紙と活字の本のモノとしての側面を、①明朝体の文字をタテヨコそろえて組み、②それを白い紙の上にインキのしみとして定着し、③綴じてページづけしたもの、と定義付ける。(p.77)

津野さんは、そのような本と並行して、数十年の間に①ネットワークを通じてデータを入手し、②ディスプレイ画面にデジタル文字として表示、③複数のウィンドウを切り替ながら読むという仕組みが出現するという。(p.91)

こうしたモノとしてのデジタル電子本は50年以内には完成するかもしれない。しかし、「いまあるような紙と活字の本が、まるごと別のモノによっておきかえられるには百年、二百年、いや三百年かかる。」(p.92)

その理由は、紙と活字の本は「水のように流れる自分の想念を書くことによってせきとめ、ふかめ、それをインキのしみとして、紙やその他の素材の上にしっかり定着しつづけてきた。」(p.94)、「ディジタル・ネットワークにおける…中略…ディスプレイ画面上の文字はインキのしみではなく、かげろうのようにはかない一瞬の映像に過ぎない。印刷が印刷でないものにとってかわられるということは、…印刷によってきざまれる動と静、運動と定着のリズムが私たちの社会から完全に消滅してしまうことを意味する。」(p.95)

要するに印刷が安心感の根拠であるが、モノとしての電子本が新しい安心感の根拠になるまでの社会あるいは人間の「読書習慣」の変化には数百年かかるだろうから、その間は、紙と活字の本と新しいデジタルの本が共存する期間となる、というのが津野さんの主張の骨子である。

さて、この記事が書かれてから既に20年になろうとしている。この間、活字は既に消滅し、デジタルフォントに置き換えられた、そして印刷もデジタル印刷に変わりつつある。そして、津野さんのいうデジタル電子本も技術的にはかなり進んできた。そして電子書籍が一部で確実に普及している。

しかし、この文章の冒頭の「はたして紙と活字の本はなくなるだろうか?」という設問への答えはまだ見えておらず、相変わらず想像力を掻き立てる問いのままである。

本は津野さんのいうように一つの世界観を封じ込めた精神的なカプセルである。そのカプセルの内容を表示する装置が紙か電子デバイスであるかということが紙の本と現在のデジタル本の違いである。ところで、そのカプセルの内容を紙の上に定着させた場合と、画面に一瞬表示した場合で、読み手に与える効果・影響にどの程度の相違があるのだろうか? これはまだはっきりとはわかっていない。津野さんの主張は、その相違および読書習慣の永続性を強調しすぎているとも思える。

いずれにせよ、日々の糧を得ようとしてアクセクしているわが身にとっては、数百年後に紙と活字の本はなくなるだろうというのは時間のスケールが違いすぎる。

『活字が消えた日』

『活字が消えた日』(中西 秀彦著、晶文社、1994年)
四六判、251頁、2,600円+消費税

20150319

京都の老舗印刷会社中西印刷が活版を完全にやめて電算写植に移行するまでの約6年間をドキュメンタリー風につづった書である。以前から書名は何度も見かけて知っていたがまだ読んでいなかった。たまたま先日神田の古本屋で見つけて早速購入して一読。若旦那こと中西さんの筆力に感銘を受けた。

1980年代から1990年代にかけて15年足らずの間に活版から電算写植へと制作技術が短期間で変遷したときの日々の出来事がまるで目の前の出来事のようにいきいきと描きだされている。

活字を拾い(「文撰」)・活字を凧糸で組み上げてページの形に整える「植字」を行うベテランの職人技に関心しながらも、若旦那はコンピュータを使った合理的な電算写植へと突き進む。

コンピュータによる組版にかけた若い息子と彼の父親である社長の、会社・印刷の未来をめぐる対話も興味深い。家業としての印刷会社ならでは風景である。

活版の設備投資はすべて償却済みなので償却負担がない。それに対して、新しいコンピュータ組版の設備は膨大な新規設備投資必要なため、生産性が上がっても、償却負担が大きくて儲からないという話もある(p.226)。

技術の強みと弱みを見据え、将来性を見て投資の判断を行っていかなければならない印刷会社の経営の難しさも良く分かる。

米国の本のジャケット 

『編集とはどのような仕事なのか』[1]には「8 装幀・タイトル・オビ」という章があり、装幀は日本の書籍が世界に誇る長所であるという説明がある。

これを読んで米国の本と日本の本を比べて確認してみたいと考えていたところ、昨日、たまたまシカゴのO’Hare空港で空港内の書店があったので、通りがかりにちょっと覗いてチェックしてみた。

20150313

上の写真は書店の様子である。小さな書店なのでそんなに沢山の本はないが、正面の平積になっている本を横から見てもわかる通り、ハードカバーの本はカバー(ジャケット)が付いているが、ソフトカバーの本はジャケットが付いていない。

ざっと見て回ったところ、店内の棚に並んでいる本も同じで、ハードカバーの本にはジャケットがある。しかし、ソフトカバーの本にはジャケットがなく、本の表紙が綺麗にデザインされている。

上の書店では日本の書籍にオビに相当するものが付いている本はみられなかった。

日本の書籍を書店の店頭で見ると、ハードカバーはもとよりソフトカバーも、単行本はほぼすべての本にジャケットが付いている。新書や文庫までジャケットがついている。さすがにオビは新書にはついていないことも多いが。

もとより、たまたま通りかかった米国の書店で本を少しみただけなので、結論を出というのは早すぎると思うが、ジャケットについては米国の書籍の方が合理的に思える。

PS1: facebookに投稿したところ、コメントをいただきました[2]
PS2:用語:ペーパーバック(仮製本)をソフトカバーに変更しました。

[1] 『編集とはどのような仕事なのか』
[2] 日本では書店で売られているほぼすべての本にジャケットが付いているが、これは行き過ぎではないだろうか? 

『鈴木成一デザイン室』(本の装幀について)

『鈴木成一デザイン室』(鈴木成一著、イースト・プレス、2014年8月発行)
四六判、266頁、2300円+税

20150228
『鈴木 成一 装丁を語る』では、25年装幀を手掛けてきたと紹介された著者は、今度は「まもなく30年になる」(p.1)という。

約150冊を振り返って制作の舞台裏やデザインについて語った本である。
最初のまえがきで、装幀とはどういう仕事かが紹介されている。

・あくまで請負の仕事として、大量生産の商品の一端を担う
・原稿がなければ始まらない
・書店で「出合いがしらの発見」が起きることを期待する
・パソコンがでてきたことで勘がほとんどの試行錯誤から、画面上でシミュレーションができるようになった
・「本」は「物」であり、存在感、手に取ったときの迫力、ゾクゾクする感じ、物理的な感触が大事

手の実感が「物」の魅力を生む」という見出しに凝縮されるモノとしての本作りが強調されている。

約150冊のカバー場合によっては帯の写真が掲載されており、その生まれるまでの経過の解説がある。解説を読んで写真をみているだけでも、いろいろな著者が織りなす本の世界が想像できる。

本書で取りあげている本のジャンルは、ほとんどが、小説・エッセイ・SFである。まれに、小林よしのりのマンガ評論(?:読んだことなし)や何冊かの自伝が出てくるくらいだ。自然科学はもとより、社会科学系の本の装幀は、小説に描かれるような情念がなく、デザインを話題に取り上げにくいということなのだろうが。

〇感想
本書で紹介されている装幀の裏話自体は大変面白いし、いろいろな著者について短い紹介があるのも大変参考になる。そういう意味では、手元に置いてときどき目を通してみたい本である。

装幀という工程について鈴木さんの2冊の本を読んだ印象として、本を世に出すにあたって、良い衣装を着せたいという編集者の気持ちは良く理解できるし、書店の店頭での出会いを演出したいという気持ちも良く分かるのだが、個人的には、装幀で本を選んだ経験はすくなくとも意識の上ではまったくないのだが。装幀にコストをかけるとそれなりの効果があるのだろうか? 誰かにマーケティングの実験をして欲しいものである。

と思いましたが、昨日、東京堂の「インテリジェンス」コーナーに並んでいる立派なカバーの本に、カバーのない本が混じっているのを見ました。やはり装幀のない本は貧弱な印象をうけました。このようなジャンルの本を買うべきかどうかは本来は内容で判断するのでしょうが、なかなか内容だけの判断は難しいようです。1冊も購入しなかったので、買うつもりで内容をチェックしなかったのですが、書店の店頭で販売しよういう場合は、装幀のウエィトは大きくならざるを得ないでしょう。着飾ったパーティに普段着で参加するには相当な勇気がないとできませんね。